3月で、大学院を修了した。
こだわり抜いて選んだ袴姿。
学部卒業の時は一式レンタルだったが、今回は全て自分で買い揃えた。
メルカリや楽天などをうまく利用して、レンタルよりも若干安く揃えることができた。
入学と同時にコロナになったり、人と揉めてうつ病になったり、そのせいで1年間休学する羽目になったり、人生史上最悪の出来事が起きたり……
本当〜〜〜〜に色々なことがありすぎた3年間だった。
何度も「もう無理だ」と思ったし、それこそ退学を考えていた時期もあったけれど、こうして無事に卒業を迎えることができて本当に良かったと思う。
我ながら、よく頑張ったと思う。
卒業式の日は1日雨予報だったのだけれど、袴姿で雨の中歩くのはいやなので、岩屋神社の神様*1にお願いして天気を変えてもらった。
おかげで雨は午前中の少しの間しか降らなくて、式典がある午後からは一滴も降らずに済んだ。
やっぱり岩屋神社の神様はすごすぎる。
ありがとうございました。
卒業式は、とにかく学長の話が長かった😂
あんな長い話誰が聞くねんと思った。
話が一区切り付いて
「やっと終わる……!?」
と思ったら
「……さて。」
とか言われて地獄だった。
「まーーーーだしゃべる!!!?」
🤣🤣🤣🤣
卒業式の後は、お世話になった先生10人くらいと1人ずつ写真を撮った。
学部の卒業式はコロナで中止になって先生たちとは会えなかった(袴姿を見せられなかった)ので、今回はちゃんと写真を撮れて本当に嬉しかった。
私の着物がそのへんの安いポリエステルの着物😂じゃなく、ちゃんとした正絹の着物だということに気がついて褒めてくれた先生もいて、さすがだなぁと思った。
その後は、同期*24人でわちゃわちゃと写真を撮りまくった。
あまりにも長時間写真を撮りすぎて、気付いたら、大学にはほぼ誰もいなくなっていた。
みんな帰るの早くない?
(お前らが遅いねん)
家の近くにある行きつけの美容室で着付けをしてもらって、大学に行く時は母親が車で送ってくれたのだけど、帰りはなんと、袴姿のまま自分で運転して帰ってきた*3。🤣
夜6時くらいまでわちゃわちゃしていた影響で帰りが遅くなったので、比較的道が空いていて良かった。
家に帰ったら、こんなものが飾ってあった。
母親が準備してくれていたらしい。
めちゃ美味しかった。🌸
私がこの大学の学生になったのは、2015年の秋である。
半年間在籍していた短大を退学し、通信課程の教育学部に入学したのだった。
初めて大学に足を踏み入れたのは、その年の12月上旬だった。
説明会に参加した後、偶然エレベーターで一緒になったおばさんと2人でタクシーに乗り、京都駅まで雑談しながら帰って来た。懐かしい。あの人今元気してるのかな?
その後、2017年には学友会の役員に誘われて、「学習会」と呼ばれる通信学生の集まりの切り盛りや、京都在住の学生に毎月配布される「支部通信」の編集などをおこなった。
大変なこともあったけれど、とても有意義で楽しい時間だった。
そして2018年の4月に通学課程へと転籍し、2020年3月までの2年間は、いわゆる“普通の大学生”としてほぼ毎日大学に通ってキャンパスライフを楽しんだ。
まぁ、言うほど楽しんではないけれど😂
通信課程へ転籍し、教育学部から社会学部に転部したことは私の大きな転機となったし、そのおかげで「学ぶこと」や「研究すること」の楽しさを知れた。
で、大学院への進学を決めた。
そう考えると、この大学にはたくさんの思い出があるし、通信時代も含めると、本当にたくさんの人との出会いがあったなーと思う。
今仲良くしている&信頼している人の9割がこの場所で出会った人だと考えると、なかなか感慨深いものがある。
色々な思い出を振り返ると、改めて、この大学の先生や学生はなんでこんなに優しいんだろう、と思う。
このブログでも何度か書いているけれど、通信時代に出会った人も、通学時代〜大学院時代に出会った人も、みんな本当に優しすぎるくらい優しい。
みんなと出会えたことに心から感謝する。
……ただ。
ひとつだけ、本音を言うとするならー。
「やっぱり私は、1人で大学院生活を過ごしたかった。」
大学院と言えば、ふつうはだいたい、同じ専攻科内で20〜50人くらいの同期がいる。
しかし、わたしが通っていた大学院は規模が小さいので、同期が誰もいないか、1〜2人しかいない、という状態がここ数年続いていた。
この記事にも書いたように、私は元々、たった1人で院生生活を送りたい願望があった。
自由で、マイペースで、他人がきらいだからである。笑
だから、あえて人数の多い大学院には行かずに、今の大学院(人数がめちゃ少ない)を選んだという背景もある。
それなのに、予期せぬ形で1人同期ができてしまったし、なんなら後輩(=後の同期)なんて3人もできてしまった。ちょっと意味がわからない。
先輩や先生方には、「仲間がたくさんいて良かったね」ということを何度も言われた。
しかしわたしは、その良さを今ひとつ実感できないでいた。
たしかに、大学院を休学することになった時は同期や後輩にたくさん助けてもらったし、度々話し相手になってもらえて感謝しているところもある。
でも、申し訳ないけれど、私はやっぱり、周りに人がいない方がいい。
他人がいることによって受けられる恩恵よりも、他人がいることによって被るストレスの方が、圧倒的に大きいからである。
それはもう、私の性格上、どうしようもない事実なのだ。
大学院を休学すると決めた時、いろんな人に
「人とのつながりがなくなるけど大丈夫?」
ということを聞かれた。
しかしわたしは、わりと真剣にその質問の意図がわからなかった。
「え?人とのつながりがなくなって困ることって何かある???」
🤣🤣🤣🤣🤣
そもそもわたしは、ずっと不登校でどこにも属していなかったから、1人でいることに慣れてる、というのもあるかもしれない。
けれど、わざわざ人とのつながりを持ちたがる人々の神経が、わたしにはどうしても理解できない。
誰かとしゃべりたい気分になったら自分からその人に声をかければいいだけだし、誰ともつるまず一人で生きた方が圧倒的に楽である。
それなのに、無理やりどこかのコミュニティに属してなんのメリットがあるというのか。
去年復学して改めて思ったけれど、休学時と在学時のわたしの過ごし方は、特に何も変わらなかった。
復学したらかと言って、積極的に学生や先生と関わっていたわけでもなかったし*4、授業を受けていたか受けていないか、というくらいの違いで、あとは別に、そんなに大差はなかったように思う。
変な話、授業を一緒に受けてなかった同期もとい後輩は、卒業式で約1年ぶりに会ったくらいだったし😂
まあ、そんなもんですわ。🤣
それと個人的に、同期もとい後輩については、卒業式の数日後におこなわれた飲み会でちょっと、いらない情報を知ってしまったので、それ以来余計に「だから1人が良かったのに」と思っている節がある。
別に普通の人からしたらなんてことない事実なのかもしれないけれど、私の中ではちょっと、
「それは院生としてありえないんじゃない?」
「それはアホとバカしかしないことでしょ……」
と思うようなことをみんな(3人とも)してやっていたので、なんだかなぁと思っている。
「あー、わたしはこんなにアホでバカな人々と同じ環境で同じ学びを受けていたのか」と思うと、正直、わたしの3年間の院生生活はなんだったんだろうとすら思う。
なんか、1人で辛さを抱えてしんどいながらも真面目に実直に頑張ってきたのが馬鹿みたいだ、と。
昨年一足早く卒業した同期に関しても、良い人は良い人なんだけど、わたし的に「許せない」ラインを平気で超えてくる人だったり、なにかと常識がなってない人だったりするので、もう卒業を期にこの人たちとは縁を切ろうかなと思ってる。
まぁもうそんなに会う機会もないだろうし*5。
というわけで、結論としては、「やっぱり1人が良かった」と思ってる。
申し訳ないけど、わたしが心を許せる人はこの世界にほぼいないと思ってるので🤣
どうしてもそう思ってしまう。
まぁ、今更そんなこと言ってもしょうがないので、ひとまずこれからしばらくは1人でゆったり過ごそうと思う。
(え?いつも1人で暮らしてるじゃん😂)
使い終わった髪飾りをミニブーケにしてみた。
かわいい。