スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

秋から、どうする?

今わたしは大学院を休学しているが、今学期(春学期)中の休学手続きしかしていないので、9月からの秋学期をどうするか?というのをそろそろ考え始めないといけない。事務の都合上、8/20までに書類を出さないといけないのである。

 

大学に全く行かなくなってから約3か月ほど経つが、正直なところ、あまり体調が良くなっていない。人混みに行くとパニックを起こすし、電車にも乗れないし、睡眠と食事は人並みにとれているけれど相変わらず身体は鉛のように重くて基本的に何のやる気もないので、元気だったときのわたしの姿とは程遠い。

だから9月から復学するのはたぶん無理だろうなと思っているし、秋から復学することによるメリットが特にあるわけでもないので(笑)今のところ、秋学期も休学することになるだろうと思っている。

 

4月に休学を考え始めたとき、本当にいろんなことを悩んでいた。

わたしは中高時代の不登校の影響で、現時点で既に同級生とは2年分の遅れがある。だからその2年分の遅れをなんとかして取り戻そうと、これまで無我夢中で突っ走ってきた。

それなのに、これ以上遅れをとることはしたくないし、これまで何年もの間不登校という名の休養生活を送っていたというのに、またここで長期間休むなんてことは絶対にできない。そんなことはわたしのプライドが許さない。とにかくわたしは、「休むこと」「自分の心に正直になること」にひどく抵抗があった。

 

しかし、これから人生をかけて不登校の研究をしようとしている人が

「休むことはよくないことだ」

「これ以上遅れを取ってはいけない」

「休んだらみんなに迷惑かけるし、周りの人にどう思われるか心配だからいやだ」

というような心持ちでいるのは良くないんじゃないか?というのも同時にすごく思った。

そういう価値観は不登校を肯定するどころか、むしろ否定することになるのではないか、と。

 

そしてもうひとつ、わたしはあることに気づいてしまった。

それは、自分が不登校だったときに“休んでいた”ように見えたのはあくまで形だけの話で、実際は心も体も全然休めていなかった、、、ということだ。

たしかにわたしは約6~7年ほどまともに学校に行ってなかったし、たまの塾通い以外は完全に社会から遮断された生活を送っていた。

しかし、その間もわたしは色々ともがき苦しみ、何とかしてこれまでの遅れを取り戻そうと、なんとかして普通の女の子に戻ろうと、、、必死になって生きていた。だから正直、心と身体が休まる瞬間なんてのは、その数年間の間で一度たりともなかったのだ。

 

だったらこのへんで、一度しっかり休んでみたらどうだろうか、、、?

 

休むことも時には必要で、それは自分を守るためのひとつの選択肢にもなるということを身をもって体感することが、今後のわたしの研究にも繋がっていくのではないか。

そう思い、わたしは半年間の休学を決めた。

休学をしてラクになる保障も自信もなかったけれど、今の自分を守る方法および今の自分にいろんな意味でベストな生き方はそれしかないと思った。

 

休学期間を1年ではなく半年にしたのは、「もし半年でダメならそのときはそのとき」という楽観的思考を持ち合わせていたことと、「もしかしたら半年後にはびっくりするくらい良くなっているかもしれない」という微かな希望からだった。

が、現状はこんな感じだし、だいたいうつ病なんてそんなにすぐ簡単に治るような病気でもないので、引き続き休学してうつが治るのかは本当に未知数である。今後の状況次第では最悪、もう1年プラスして休学をしないといけないなんてことにもなるかもしれない。

 

そんな感じなので、正直今は不安と絶望?しかないのだけれど、この前信頼している大学の先生に言われた言葉がとても心に響いた。

「今すごく急いだとしても、そんないい未来はないと思う(笑)なんかの目標があって、そこに向かって進んでいくとうよりは、“今の連続として将来がある”って考えた方がいいと思う。」

 

目標を持つことは大切である。が、そこばかり意識してしまうと視野が狭くなり、焦る必要がないのに焦ったり、無理をする必要がないのに無理をしたりして自分を見失ってしまうことも往々にしてある。

先生の言う通り、未来を形作るのは“今の積み重ね”なのである。そう考えるとやはり、今のわたしがすべきことは、決して焦ることなく今この瞬間を丁寧に、着実に生きて、今の自分がやれることだけをひとつずつ淡々とこなしていくことなのかもしれない。

 

秋からどうするか、そしてどうなるかはまだ今の段階では何もわからないけれど、“今の連続として将来があり、今の積み重ねが未来を形作っていく”ということだけは忘れずにいたい。