スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

将来の夢の話。

「将来の夢はなんですか?」

子どもの頃、大人からそういう類の質問をされるのがものすっごくいやだった。

 

「はあ?今のわたしが知っている世界なんてたかが知れてるのに、そんなんで将来の夢を語らせるなんてバカじゃないの?

そう思っていた。

 

だからわたしは、幼稚園の卒業アルバムの“将来の夢”の欄には「定番だから」という理由だけで「パン屋さん」 と書いて*1、小学校の卒業アルバムには「みんな自分が通ってる習い事の先生になりたいって書いてるから」という理由だけで「エレクトーンの先生」と書いた*2。ああ、我ながらなんて冷めた子なんだ。

 

それからはなんとなく、塾の先生になりたいな~*3とか、編曲家になろっかな~*4とか、批評家って楽しそうやな~*5とか(笑)いろいろと、ぼんや~りと思っていた時期はあったけど、どれも夢の欠片で終わり、その後発展することはなかった。

 

学校教育がいやすぎて不登校になって以降は、自分の不登校経験を活かした仕事がしたい!という思いが強くなり、フリースクールで働けたらいいな~とか、スクールカウンセラーみたいな、悩んでいる子どもの力になれる仕事ができたらいいな~と思うようになった。だからわりと本気で心理学の勉強をしたり、心理カウンセラーを目指せる大学を探したりもしていたのだけど、なんとなくそれもすべて夢の欠片で終わってしまった。

その後大学に進学し、院を目指すようになってからは不登校研究を極めて研究者になって、大学教員として働く!」というのでわりと安定していて、今までのどの「将来の夢」よりも、確固たる決意と自信を持っていた。という、“過去形”だ。

 

duffyuki224.hatenablog.com

 

 この記事で少し書いたけど、わたしは最近になって不登校を研究テーマにすることをやめた。*6

 

じつは昨年末くらいから、わたしは不登校を研究していくことに対して妙な違和感を抱くようになった。

その違和感は、大きく分けて2つあった。

1つは単純に、「わたしには、不登校を一生背負って生きていく覚悟があるのか?」という不安からくるものだった。

 

大学院進学を決めてから、不登校に関する本や論文をたくさん読んだ。そのなかには、著者や研究者自身の不登校経験が綴られたものもわりとあった。

わたしはそれらを読むたびに、メンタルを病んだ。当たり前だけど、不登校経験談というのはとてつもなくヘビーで苦しい。だからたぶん、誰が読んだとしてもあまり良い気分にはならないと思うけど、わたしはそこに、自分自身の経験を重ね合わせて読んでしまうので(そうしたくなくても、そうなってしまう)、読み終わった後はめちゃくちゃ落ち込み、目に見えてテンションが低くなった。「もし不登校を研究するようになったら、ずっとこんなヘビーな文章ばかり読み書きしなきゃいけないのか~」と思うと、気が遠くなった。

不登校研究で生きていく」ということはつまり、この先ずぅーーーっと自分の不登校経験と向き合って生きていくことと同意義である。

いくら「自分の不登校経験を無駄にしたくない、それを活かした仕事がしたい」とはいえ、自分の人生の歯車を狂わせ、奈落の底へと突き落とした経験を一生背負って生きてけるだけの覚悟と精神力が、今のわたしにはあるのかと、そしてそれは、ほんとにわたしが幸せになれる道なのかと考えると、、、正直よくわからなからなくなった。

 

そしてもう一つは、「わたしの“本当の夢実現”への手段がわからなくなってきた」ということだった。

去年1年間、「調査の足しに」と思い、いろんな不登校支援現場に足を運び、いろんな支援者の人たちの話を聞きに行った。自分が当事者である間は一度もそういう場所や集まりに参加したことがなかったので、とても新鮮だった。

けどわたしはそこで毎回、とてつもなく大きな違和感を抱いていた。

不登校当事者が少しでも生きやすい社会にしていきたい」という目標は、基本的にわたしも支援者たちも同じだった。でもわたしは正直、支援者たちの諸々の活動内容をはじめて目の当たりにして絶望した。

 

「こんな当事者同士で傷の舐め合い(言葉は悪いけど、あえてそう言わせてもらう)してるだけじゃ、何も解決せんくない?それで救われる当事者もいるのかもしれんけど、こんなこと延々やってるだけじゃ、社会は何も変わらへんやろ、、、。」

 

たしかに、「そういう支援や居場所があるからこそ不登校を乗り越えられた」という当事者も確実にいると思う。そしてわたしが↑みたいに思ってしまうのはきっと、今のわたしは既に「不登校を乗り越えた人」であり、「不登校の当事者でなくなってしまった」からなのだと思ったりもする。

でも、ほんとに社会を変えようと思うならば、不登校の非当事者である人びとや、不登校に全く関心のない人、むしろ不登校を“悪”だと思っている人に対してこそ積極的な働きかけをおこなっていかないといけないし、内輪だけでわーきゃー言ってても意味がない。それで一時的には気持ちが楽になったとしても、それは根本的解決にはならない。

それはなぜか。不登校当事者の一番の苦しみは、非当事者の人たちから色眼鏡で見られてしまうことだからである。だから結局、そこの壁を乗り越えられない限り、不登校当事者たちの苦しみが完全に消えることはないとわたしは思っている。

 

実際に支援現場に足を運んで、わたしは自分の本当の目標に気が付いた。

わたしは当事者たちの一時的な苦悩を軽減する(=痛み止めで一時的に痛みを感じなくさせる)ことがしたいわけじゃない。

もっと根本から社会を変えていって、不登校当事者たちが周りの目を気にすることなく人生を楽しめる社会を創りたい(痛みの原因となる部分をごっそり取り除き、リセットする)のだと。

でもその夢を叶えるために、どうすればいいのかがわからなかった。なにをすれば、なにを研究すれば、わたしの本当の目標を達成できるのだろうと、、、ひたすらに迷走した。迷走すればするほど、だんだんとすべてがわからなくなっていった。

 

そうして不登校研究に対してやたらと違和感を抱き始めつつも、なんとなくノリで院試を乗り越えて(笑)「こんな心持で、4月からわたしはほんとに不登校研究をやっていけるなのだろうか、、、」と思い始めていた頃に、コロナ騒動が起きた。

コロナで教育のあり方は随分と変わった。分散登校とかオンライン授業とか、ほんとに目まぐるしくいろんなことが変化し、学びの選択肢が広がった。

わたしは思った。

「このままいけば、何もしなくてもたぶん、わたしが望む未来に近いものがやってくるだろうし、もしかしたらそのうち、“不登校”って概念すらなくなる日が来るかもしれないな、、、。」

 

それと同時期くらいに人生初の手術をおこなったわたしは、不思議なことに、これまでの価値観や考え方が変化した。そしたら、ひたすらに嫌いで憎くて仕方なかった学校教育に対して何も思わなくなり、すべてがどうでもよくなった。

そして、あれだけ執着していた自分の不登校経験(笑)すら、“自分にはもう関係ない過去のもの”へと徐々に変化していった。嘘のようなほんとの話である。

ので、これを機に、わたしはきっぱりと自分の不登校経験にひとつの区切りをつけ、べつのテーマで研究することに決めた。もういい加減、「ゆきちゃん=不登校の人」というレッテルから脱却してみてもいいのかな、と思った。

 

そんなわけで、じゃあわたしはこれから何を研究していくのかと言うと、それはまだ決まっていない(笑)学校や不登校のことがどうでもよくなったとはいえ、広い意味での「教育」には興味があるので、そこの軸でなんかできないかなあと思ってはいるけど、思ってるだけでまだ何も形になっていない。正直、かなりやばい。

でも、こんなに迷走して先が見えない中でも、ひとつだけ確かな指針がある。

それは「社会を、そして教育を変えたい」という強い意志であり、わたしが長年持ち続けている謎の使命感?だ。

 

10代の頃のわたしは一時期、こんなことを思っていた。

文科省に就職して日本の教育を変えたい。」

 

わたしが不登校になった一番の理由は「いまの学校教育はほんとうに正しいものなのか?」と疑問を抱くようになったことがきっかけだということは、過去の記事で述べた通りである。だから、「なんとかして日本の学校教育をより良いものに変えたい」と思っていたのだけど、その夢を実現するためには、文科省に就職するのが一番手っ取り早いんじゃないかと思ったのだ。だからと言ってべつに、真剣に文科省に就職することを目指していたわけではないけど、ほんとに一種の野望みたいな感じで、ずっとそんな思いを抱いていた。

 

「そう思う気持ちはわからなくはないけどさ、こうやって何十年もこのシステムで世の中がちゃんと回ってるんだから。世の中なんてそう簡単に変えられないよ。」

 

「社会を、そして日本の教育を変えたいと思う」という話を、当時お世話になっていた病院の先生に話したとき、こんなことを言われた(という話は、以前ちらっと記事にした)。

先生の意見もわかるし間違ってないと思う。でもわたしは、こうして社会が目まぐるしく動いているというのに、教育だけはずっと変わらずそのまま、、、なんてのは明らかにおかしいことだ、と思った。だからわたしはその後もずっと、「社会を、そして教育を変えていかねばならん!」と思って生きてきたし、こうしていろいろと自分自身に変化が起きた今でも、その根底部分だけは変わらない。

たしかに社会は簡単には変えられないかもしれない。でもきっと、本気で「変えよう」と思って動けば変えていけるのではないかと、わたしは信じて疑わない。例えそれが、何も持たない、ごくふつうの、平凡な一学生であったとしても、だ。

 

今回のコロナ騒動で、間違いなく社会は、そして教育は変わっていく。というか、そうであってほしい。そのうえで、もっと良い社会を、教育を創っていきたい。

あまりにも抽象的で、壮大すぎる話だけど、これが、今のわたしの「将来の夢」である。

でもその前に、小学生のころからずっと抱いている「一人暮らしをして自分だけのお城を持つ」という夢をまだ叶えられていないので、まずはお金を貯めて、家を探すところから始めてみようかな、と思う。え?(笑)

 

*1:その15年後くらいにまさかパン屋さんでバイトをすることになるとは、夢にも思っていなかった。

*2:当時エレクトーンを習っていた。

*3:自分が長年塾にお世話になっていて、いろいろと思うこと(悪い意味で)があったために、「これ以上、わたしみたいな辛い思いをする生徒を増やさないために、わたしが先生になる」と思った。じつはわりと真剣だった。

*4:12年習ったエレクトーンの才能(笑)と、ひっそり持ち続けている絶対音感をちょっくら生かしてみようかなと思った。

*5:もともと文章を書くのがすき&批判的に物事を考えるのがすきだったので、その両方をやってお金を稼げたらおもしろいだろうなあと思った。

*6:追記:結局その後、研究テーマを不登校に戻しました(笑)