修士課程の2年間くらいだったら、多少の違和感を無視しながらやりこなせるだろう。
というか、実際私はやりこなしてきた。
けれど、博士課程でその違和感を無視していいのか?と思った。
博士に行ったら、修士なんかとは比べものにならないくらい研究を深めていかないといけないのに、指導教員との間で考え方の違いがあるのは、結構キツイのでは?と。
これはちょっと愚痴なのだけれど、この1年間の修論指導は、ほぼzoomで受けていた*1。
その時、通信の修士課程の学生さんと合同で指導受けることが多々あった。
その人は現役の中学教師で、実は今回の修士論文ではその人のインタビューも使ってるのだけれど、まあなんというか、私に言わせればその人は
「良くも悪くも絵に描いたような典型的な“学校の先生”」
なのである。
詳しい話はここには書けないけれど、その人を見ていると、そしてその人の色んな話を聞いていると
「こういう先生がいるから、不登校の子どもの苦しみは減らないのだろうな」
と思わざるを得ない。
正直、私にとっては苦手かつ1日も早く撲滅してほしい人種😂である。
けれど、その人(学校の先生)は
「不登校は学校制度や教師の職場環境の劣悪さに問題の根源がある」
と考えている人なので、悲しいかな、指導教員とはものすごく馬が合う。
だから、その人と指導教員の3人で合同zoomを行う時は、私はいつもなんとなくアウェー感があった。
2人から自分の考えを否定され*2るだけならまだしも、個人的に一番キツかったのは、指導教員がその人のことを猛プッシュすることだった。
元当事者として、そして研究者として不登校を考えている立場の私に言わせれば、その人は明らかに「不登校の子どもに害のある教師」だった。
それはたぶん、不登校に苦しんだ過去を持っていたり、社会学的な視点から不登校を考えられる知見を持っていたりする人であれば、一目瞭然の事実だと私は思う。
しかし、指導教員はその人のことを
「先見の明がある」
「不登校問題を立て直すのに必要な人」
「なんなら一緒に共著で本書きたい」
と褒め称え、その人を推しに推しまくるのである。
そのような指導教員の姿は、正直、私にとってはホラー以外の何物でもなかった。
不登校の子どもにとって害でしかない考え方を持つ教師を「良い先生」と評価する大人がいる。
そして、そのうちの1人が私の指導教員であるー。
その事実を目の当たりにしたことは、短い大学院生活の中でもなかなかに辛くしんどい体験だった。