スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

26歳になる。

今日で26歳になる。

 

体調は、まちまちである。

2月に入ったあたりから少し立て直して

「このまま平穏を取り戻せるか?」

とも思ったけど、

最近また

「毎日のように『死にたい』と泣き叫び、刃を剥き出しにしたカッターナイフを握りしめてニヤニヤする期」

が再来したので、頭を抱えている。

人生は、なかなか思うようにはならない。

 

わたしが年末にすこぶる病んでいた頃、知り合いの霊能者の人*1YouTubeライブ配信でこんなことを言っていた。

 

ーーーーーー

人を軽んじたり、人に意地悪しようとしたりする人は、必ず何かの天罰が下る。

どんな形であれ、必ず自分に返ってくる。

逆に辛い状況でも、そこで負けずに、そして逃げずに立ち向かうことができれば、大逆転を起こすこともできる。

今たとえつらい状況にある人も、決して諦めないで。

その先にある光を信じていれば、道は開けます。

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わたしだって、ずっとそう信じて生きてきた。

悪いことをすればバチが当たる。

だから、真面目に生きる。

そうすれば、どんなに辛くても必ずいつか報われるから、、、と。

 

でも、何度も言うように、わたしの人生は一向に報われない。

努力すればするほど、嫌なことが起こる。

ここまで何もかも報われない時期が続くと、さすがにしんどい。

本当に、言葉にならないくらいにキツイ。

 

それだけじゃない。

わたしに意地悪してきた人や、私の悪口言ってた人達は、見渡す限りではそこまで不幸になってはいない。

見えない不幸はあるのかもしれないし、わたしが知らないところで不幸になっている可能性もあるけど、到底そうは思えない。

みんなみんな、わたしが喉から手が出るほど欲しいものたちをいとも簡単に手にし、高台からわたしを見下ろすようにしてきゃっきゃうふふと幸せそうに暮らしている。

本当に、くそみたいに腹が立つ。

そういう世の中の無情さや理不尽さに耐えられなくなった人が、自殺を選ぶのだろうなぁと思う。

我ながら、よくここまで理不尽な人生を生きてこれたなと思う。

 

その霊能者の人は度々「目に見えない存在たちを味方につけて生きることの大切さ」について熱弁していた。

 

どんな時でも他人を思いやる気持ちを忘れずに。

どれだけムカつくことがあっても、決して他人を悪く言わずに。

ご先祖さまに感謝して、定期的にお墓参りに行って。

積極的に他人を喜ばせて、「どうすれば他人の役に立てるか?」を考えながら生きて。

どんな時も感謝の気持ちを忘れず、笑顔で前向きに生きる。

結局のところ、そうやって神様やご先祖様、守護霊さんたちに恥じない生き方をして、彼らのサポートを信じ、感謝の気持ちを常に持ち続けている人が幸せを掴むのです、、、と。

 

そんなことを、鼻息荒くしながらおっしゃっていた。

 

それを聞いていた他のリスナーからは、

「感動しました!」

「涙が出ました!」

「私も早速やってみます!」

というような、多数の絶賛のコメントが寄せられた。

 

しかし、わたしは1人、冷めた目でその人たちのやりとりを見ていた。

その後、そのやりとりを見ることすら嫌になり、そっと配信を閉じた。

感動の涙どころか、別の意味で泣けてきた。

 

神社仏閣巡りにハマる前から、わたしは目に見えない世界の存在をなんとなく感じていたし、そういう「世の真理」みたいなものがあることもある程度わかっていた。

だからこれでも結構、目に見えない存在たちを味方につけるような生き方はしてきたと、、、自分では思ってる。

 

どんな時でも真面目に、丁寧に、笑顔で生きて。

自分よりも他人を優先して。

他人が喜ぶこと、他人が笑顔になることを常に考えて。

絶対に他人を傷つけないように、絶対に他人に嫌な思いをさせないように、細心の注意を払いながら行動して。

他人にムカついたり、苛ついたりすることがあっても「もしかしたら何かそうせざるを得ない事情があるのかもしれないし、、、」みたいに思って、負の感情をグッと飲み込んで。

お墓にも定期的に参ってお掃除して、お花を飾って。

祖父母の家の仏壇にも毎回丁寧に手を合わせて。

自分の懐に余裕がある時は、積極的に募金して。

困った人には、必ず手を差し伸べて。

車を運転中、道を譲ってほしそうな人がいたらできる限り道を譲って。

、、、、

 

本当に、自分でも「よくこんなに真面目に生きれるな」というくらい、地道にコツコツと“得を積んで”生きてきた。

そうすれば、いつか必ず幸せになれると信じていたからである。

 

しかし、どれだけ待っても「いつか」が来る気配は全くない。

何度も言うように、どれだけ努力しても報われないし、

いつもいつも願いは叶わないし、

本当に欲しいものは、何一つ手に入らない。

20数年生きてきて、この仕打ちはかなり辛い。

 

そのためわたしは、そういう自分から脱するために、神社仏閣巡りを始めた。

と同時に、目に見えない世界や世の中の真理について改めて真剣に勉強してみたり、

今まで以上にいろんな人に感謝したり、

今まで以上に笑顔で、前向きに生きることをより強く意識してみたり、、、

 

とにかく幸せになりたくて、今までの人生を変えたくて。

色んなことを頑張った。

そして、わたしなりに自分のダメなところと徹底的に向き合って、徹底的に努力した。

言ってみれば、うつ病治療や大学院の休学も、その「自己改革」のひとつだった。

 

わたしがうつ病を患ったのは、ちょうど1年ほど前のことである。

この1年間、わたしはこれまで以上に努力した。

光を探し求めて、無我夢中で突っ走った。

 

それなのに、

現状は何も変わらない。

びっくりするくらい、悪いことしか起きない。

むしろ1年前以上に、心も身体もぼろぼろである。

あの頃は、まさか自分が1年後も暗闇の中にいるなんて、そしてそれ以上の傷や痛みを抱えることになるなんて思いもしなかった。

こんなひどいことは、ないと思う。

 

もちろん結果が全てだとは思ってない。

その過程で得るものもあるし、それが一番の学びや収穫になるということは、今までの経験上よくわかっている。

でもやっぱり、目に見える成果や幸せも欲しい。

たぶん、わたしたち人間は、それがあるから頑張れると思うから。

 

それなのに、わたしにはそういう幸せが何もない。

何一つない。

本当はあるのかもしれないけど、わたしが一番欲しいものはまだ何も手に入っていない。

 

 

いつまでも落ち込んでちゃいけない。

ぐずぐずしていてはいけない。

これは試されているのだ。

もう昔のわたしとはちがうのだから、ここで諦めずに、前を向いて、やるべきことをやって

「みよ!あの頃の私とは違うのだ!」

って証明することが、幸せへの切符を手に入れる近道なのかもしれない。

ていうかたぶん、そうなんだろうなと、、、わかってはいる。

 

でも、それで頑張りすぎて、辛い気持ちに蓋をして無理に前を向いて、、、

わたしは壊れた。

病気になった。

そして幸せも掴めなかった。

 

そんな経験が過去に何度もあるわたしにとって、あの霊能者の人の配信内容はかなりしんどいものだった。

 

やれることは全てやっているのに、なぜわたしは、幸せになれないのか?

何がダメなのか?

どうすれば、私は幸せになれるのか?

もうこれ以上、どうしたらいいのかわからない。

わたしはますます希望を失った。

 

過去にみてもらったことがある占い師の人や霊能者の人の何人かは、わたしの今後の人生について

「26歳の時に変化がある、良いことがある」

というようなことを言っていた。

それはこの配信者の人にも言われていたことだった。

 

しかしわたしは、その言葉を信じていない。

それは過去に、そういう人たちから言われた良い予言が全てが当たらず、むしろ悪い方向にばかり進んだ経験があるからである。

だから、どれだけ希望を持ちたくても信じ切ることができない。

もうこれ以上、予言を信じて傷つきたくない。

そしてなにより、

どれだけ努力しても、どれだけ待っても報われた経験がない身としては、もはや誰に何を言われても信じられない。

今のわたしは、周囲が思ってる以上に投げやりで、生きる希望もなく、完全に心を閉ざしているのだ。

 

が、もしもひとつだけ願いが叶うのならば、これだけは言わせて欲しい。

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神様。

どうか26歳のわたしに光を与えてください。

そろそろわたしも、幸せになりたいです。

*1:「スタンドfm」という音声配信アプリで出会った人。最近はYouTubeで毎日生配信してらっしゃるが、話の内容云々以前に、なんとなく人間性に疑問を感じたのでめっきり聞かなくなった。