スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

ある日、晴明さんに呼ばれ、助けてもらった話。

4月上旬。

くたくたの身体に鞭を打って無理やり大学に行き、「もうこれ以上頑張れない、、、」と泣きそうになりながら帰ろうとしたとき、ふと晴明さんの名前が頭に浮かんだ。こういうときはだいたい、その神社に“呼ばれている”証拠である。わたしはそのまま晴明神社に向かった。

 

晴明神社に行くのは、うつ状態が本格化してから初めてだった。

わたしは御本殿で手を合わせながら、呼んでいただいたお礼と、今の状況やここ数ヶ月のあれやこれやを事細かに説明した。幸いにも後ろに並んでいる人が誰もいなかなったので、けっこうしっかりめにお話することができた。

 

「晴明さん、つらいです。助けてください、、、!」

 

心の中でそう呟いた瞬間、ゴゴゴゴゴ!!!!とすごい勢いの風が吹いた。“御本殿で手を合わせているときに風が吹く”というのは神様からの歓迎サインだと言われているが、このときは本当に、今まで体感したことないくらいの強い風が吹いた。すごくスピリチュアルな雰囲気だった。本当に助けてくださるのかもしれない、と思った。

 

その頃のわたしは、あまりの症状のひどさに危機感を覚え、心療内科探しに明け暮れる日々を送っていた。

どこもかしこも予約は1ヶ月以上先。良さげなクリニックは混みすぎて初診受付を休止。

どうしようか、と悩んでいたとき、以前2回だけ行ったことのある予約不要の某心療内科*1の存在を思い出した。1日でも早くお医者さんに診てほしかったので、とりあえず行ってみた。

 

その先生はろくにわたしの話を聞いてくれず、相槌すら打たないような人だった(ひどい)。そのうえ「そんなことでうつになるとか(笑)頭大丈夫?(笑)」みたいに言ってきたので、腹が立ったわたしは

「もうけっこうです!!!!!」

とぶち切れ、そのまま診察室を飛び出した*2。あまりのひどさに、その後泣きながら大学でおにぎりを食べた。

 

家に帰って両親に報告したら、父がカウンセリングを勧めてくれた。

「自分が何を求めてるかによると思う。とりあえず薬がほしいって言うなら心療内科でいいけど、話を聞いてもらいたいならカウンセリングの方がいいのでは?」

なるほど。たしかにそうかもしれないと思った。

病院に行くこと(=薬をもらうこと)ばかり気を取られて、カウンセリングに行く(=じっくりと話を聞いてもらう)という発想が当時のわたしには1ミリもなかったのだ。

 

次の日、わたしは早速カウンセリングを受けに行った*3。そこの先生はとても良い人だった。あまりに良い人&仕事ができる人すぎて、「やっとまともな人に出会えた!!!!!」と感動した*4

 

その日を境に、わたしをサポートしてくれる人&話を聞いてくれる人が立て続けに現れた。

直感的にひらめいてわたしから連絡を取ったり、コンタクトを取ったりした人もいるけど、普段全く連絡を取らない人からいきなり「最近どうしてるか気になって」みたいな連絡が来たり、まぁまぁ広い大学内で偶然信頼してる先生と会って「時間あるなら研究室でお茶でも飲まない?」みたく誘ってもらえることがあったりして「タイミングすごすぎない!?」と思うこともたくさんあった。

 

もともと人を頼ったり、人に自分の感情を打ち明けることが得意ではなかったこと、そして今回の“人間関係のもつれ”の話が決して万人に理解されるような単純な話ではないことから、わたしはこれまで極端に「人に話を聞いてもらう」ことを避けていた*5

けど、なんか気づいたら人を頼る流れになっていたので(笑)わたしは勇気を出して、その人たちに今の自分の現状や気持ち、休学を考えていることなどをポツポツ話すようになった。

 

その人たちは、わたしの弱さや未熟さを決して否定することなく、温かく受け入れてくれた。

「無理はしちゃだめ」

「辛いときはもっと人を頼りなさい」

「あんまり一人で抱え込まないで」

というような優しい言葉の数々は、今まで散々無理ばかりして、辛い気持ちを押し殺し全部1人で抱え込んでいたわたしをふんわりと救ってくれた。本当にありがたかった。

「人を傷つけ、いやな思いをさせてしまった最低最悪なわたしの味方をしてくれる人なんて誰もいないんじゃないか、、、」と思っていたけど、そうじゃないことがわかってとても安心したしうれしかった。

 そんなわけなので、今わたしの周りにいる人はみんな本当に優しくて、事あるごとにわたしのことをサポートしてくれている。

 

「先が見えなくて不安が尽きない」という意味では、不登校のときと何ら状況は変わらないし、休学することになったことや、うつになったこと自体はとても悲しくて辛い。

でも今は、味方が誰一人としていなかったあの頃とちがって信頼できる人たちがたくさんいるし、そういった人たちの優しさと温かさが今のわたしの唯一の救いだとも思っている。

正直、一番最初に心療内科に行ってボロボロになったときは「なんでこんな酷い目に!😭」と思ったけど、それがあったから今のカウンセラーの先生とも出会えたし、「勇気を出して人に話を聞いてもらうこと&人を頼ること」の大切さにも気づけたから、あれはあれで必要な経験だったんだろうな〜と思う。

 

最近、ふと思った。

「あのときの晴明さんの“助ける”は、こういう意味だったのかもしれないな。」

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晴明さん、ありがとうございます🌸

 

これ以上ないくらいに恵まれた環境にいること、そして周囲の人たちへの感謝の気持ちを忘れずに、この難所をゆっくりでも着実に、マイペースに乗り越えていきたい。

 

 

 



*1:通信課程から通学課程に編入した直後、環境の変化によって体調を崩し、大学内のカウンセリング室に通っていた。そのときにこの心療内科を紹介してもらい、薬も処方してもらっていたのだけど、その後すぐに通学の環境に慣れて薬なしで生活できるようになった&そのときの先生の印象が“可もなく不可もなし”だったため続けての通院はしなかった。

*2:診察室を出た後、受付で「先生にひどいことを言われたので、途中で出ました。お代だけ払って帰ります。」と言うと、係の人はめちゃくちゃパニクっていたけど(笑)結局「お代はけっこうです」と言われたのでそのまま帰ってきた。メンタルが弱いわりに、こういうところはすごく図太い。

*3:自治体がやってる公的なやつ。父親がお役所勤めでそのへんのことに詳しいので「こんなのもあるよ」と教えてくれた。

*4:不登校時代を含め、今までろくなカウンセラー&医者に出会ったことがなかったため。この先生のところには今でも定期的に通っている。

*5:だから全部一人で抱え込んでしまい、余計に症状を悪化させてしまった部分もある。