この1年、あなたはどのように暮らし、どんな思いを抱いていましたか?
在宅勤務に変更したこと、
家族と過ごす時間が増えたこと、
友人や知人と会う機会が減ったこと、
新しい趣味を見つけたこと。
喜びも寂しさも。あなたの「この1年の変化」を書き残してみませんか。
(はてなブログ「お題」ページより引用)
では早速、思いつくままに「この1年の変化」を書き記してみよう。
大学を卒業し、大学院生になった
これはもう言わずもがな、一番大きな変化だ。内部進学だったため、それほど目に見えて大きな「変化」はなかったけれど、やはり学部生と院生の差でかい。学部時代以上に淡々とした毎日だし、誰も助けてくれない(笑)まあでも、それなりに楽しくやっている。
ちなみにこの前はじめて雑誌論文用の原稿を校正したのだけれど、「これぞ研究者!」って感じがしてとてもうれしかった。
手術入院をした
これも言わずもがな、な案件である。いや〜、ほんっとに大変だったなあ~。
もうすぐ手術から1年が経つわけだけど、おかげさまで術後の経過はすこぶる順調である。このまま再発なく平和に過ごせることを祈る。
今まで以上に「目に見えないものの世界」を感じられるようになった
これも個人的にはなかなかに大きな変化だった。手術前からそういう傾向は強かったけど、手術以降はなぜか今までの比じゃないほどスピリチュアルな世界をより身近に感じられるようになったし、神社仏閣巡りも本格的な趣味として定着した。
週に一度は神社(もしくはお寺)に足を運び、神仏からのメッセージを受け取って、気持ちをリフレッシュさせて日々を過ごす、、、。わたしが今回のコロナ禍で、意外とタフに?陽気に過ごせているのは間違いなく神仏のおかげだと思う。
見える世界がちょっとだけ変わった
これは手術による変化なのか、コロナ禍による影響なのかよくわからないのだけれど、去年の春頃から見える世界がちょっとだけ変わった。
まず、自然に対する畏敬の念がめちゃくちゃ増した。
それまで何の気に留めることもなかった木々や草花をやたらと愛おしく思うようになったり、雲ひとつない青空に心が晴れやかな気持ちになったり、夕陽を見て感動の涙を流したり、、、。「この世界はすばらしい!」みたいな感情が、事あるごとに沸き起こるようになった。自分でも驚きである。
そして、人との何気ないやりとりに幸せを感じることもめちゃくちゃ増えた。
去年の春頃は手術入院やコロナの影響でほとんど外に出る機会がなかったため、メールや電話、zoomなどを使っていろんな人といろんな話をした。コロナ禍でも変わらず働きに出ている友人や知り合いにエールを送ったり、逆にこちらの身体のことを気遣ってもらったり、、、。「離れていても、そして直接会えなくても人のぬくもりは感じられるのだなあ~」というのが今回の手術およびコロナ騒動でよくわかった。し、形はなんであれ、そういう“人との何気ないやりとりができること”が一番の幸せなのかもしれないなと改めて思った。
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たぶん、今回のこのお題は「コロナ騒動ありき」のものなのだろうけど、ご覧の通り、わたしのこの1年の変化の中には「コロナ騒動によって起こった変化」というものがあまりない。最後のはコロナ騒動も多少は影響しているけれど、あくまでこれは「コロナによってもたらされたプラスの変化」であって、決して「マイナスの変化」ではない。
改めて考えてみると、「コロナ騒動によって引き起こされたマイナスの変化」というのは意外とない。ないというか、「コロナ騒動によって引き起こされた諸々の変化を特段“マイナス”だとは捉えていない」と言った方が正しいのかな。
現に「学校の授業がオンラインになった」ことをマイナスの変化だと捉えている人は多くいるけれど、わたしはそれを「マイナスな変化」だと捉えたことは一度もない。
「オンラインだと授業の質が下がるから授業料返せ」
「こんなはずじゃなかった、楽しい学校生活はどこに」
ネットやニュース番組を見てると、本当にたくさんの人がそう言っている。
なぜこんな言葉が次から次へと出てくるのか。それは「学校の授業は学校でやって当たり前」「オンラインだと対面よりも授業の質が下がる」という暗黙の常識=目に見えない社会意識がこの世の中に存在しているから、というのが一番の大きな理由だと思う。
しかし、「ほんとうにそうなのかな」とわたしは思う。
慣れないオンライン授業はしんどいことも多々あったし、オンライン授業期間中に対面授業が恋しくなったことは何度もある。でも個人的には、オンライン授業がそこまで悪いものだとは思っていない。
どんな出来事や現象にも、必ずいい面と悪い面がある。いい面しかない、悪い面しかないものなんてのは、この世には存在しない。常に表裏一体なのである。
今回のコロナ騒動だって、悪い面ばかりに目を向けられがちだけど、いい面*1もあることにはある。それと一緒で、神聖化されている対面授業にだって悪い面はあるし、人びとから非難されがちなオンライン授業にも良い面はある。それなのになぜ人は、どちらか一方にしか目を向けないまま物事の良しあしを判断してしまうのだろうか。
なにか変化が起きたとき、それをどう捉えるかは人によって異なる。プラスに捉えてハッピーになる人、マイナスに捉えて落ち込んでしまう人、特になんとも思わない人。そこに正解は存在しない。が、ひとつだけ言えるのは、「諸々の変化や現象をどう捉えるかによって、幸せな気持ちになることもあれば、不幸な気持ちになってしまうこともある」ということである。
松下幸之助の名言に、こんな言葉がある。
「しあわせは、いつもじぶんのこころがきめる。」
人生はそう簡単じゃない。どんなにがんばっても前向きに生きられないとき、しあわせを感じられなくなってしまうときは誰にだってある。でも「しあわせは、いつでも自分の心次第で作れるんだな」ということは、なるべく忘れないようにして生きていたいなと改めて思う。
*1:新しい働き方、学び方が定着した。体調不良のときに会社や学校を休みやすくなった。わたしのような「ぼっち大好き人間」が優遇されるようになった(笑)など。