スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

新たなスタート。

(いつもより長めです。)

今日からわたしは、某大学院社会学研究科の学生になる。この状況なので授業は当面延期だけど、肩書き的にはそうなる。

 

通信課程の大学に入学した当初、わたしは教育学部にいた。教育学部を選んだ理由は、「学校に存在意義を見出せなくなったことが原因で不登校になった過去を持つ者として、改めて、学校の存在意義を考えたい」と思ったからである。

その後いろいろあって、3年からは同じ大学の通学課程に転籍をしたのだけど、そのときにじつは、所属学部を変更することができた。

転籍出願書類を見るまでは学部変更が可能だと知らなかったし、べつに「教育学部はもういやだ!」みたいな思いもなかった。けれど、教育学部とは本来、教員を目指す人が行く学部であり、教員になるつもりが全くなく、むしろ学校教員に対して敵意すら抱いているわたしがいるような場所ではない。なので、いくら教育や学校に興味があるとはいえ、このまま教育学部に残って、教員志望の人たちと一緒に勉強を続けていいのか、、、という思いが少しだけあるのも事実だった。

ほかにもっと良さげな学部はないのかと、一応、通学課程にある学部を一通り調べてみた。そこでわたしの目に留まったのが、社会学部だった。

 

「社会」というと、なんとなく中学や高校の感覚で地歴公民をイメージしてしてしまっていたけど、どうやら大学の社会学部というのは、わたしたちがいま生きている社会そのものに焦点を当て、さまざまな社会問題や社会現象を研究していくところらしいということを、そのときにはじめて知った。

卒業生の卒論テーマを見ていると、ほんとにいろんなテーマがあってすごく面白そうだった。しかもそのなかには、「東京ディズニーリゾート」をテーマにした論文も、、、!*1(笑)

そうか、社会学部は社会全体が研究対象だから何でも研究できるのか!分野に囚われずにいろんなことを学べて楽しそう!それにここなら教育のことも引き続き勉強できそうだし、なんなら教育学部よりもっと広い視点でいろんなことを考えられるかもしれない、、、!

そう思ったわたしは、社会学部志望で転籍試験の書類を提出した。

そんなこんなで、ほぼノリで社会学部に転籍をしたわたしだったが、授業は想像以上に楽しくて面白かった。そしてなにより、社会学部の先生の空気感や雰囲気がものすごくわたし好みだったのだ。

 

ほかの学部の授業だと、ほとんどの先生方が授業が始まる5分前に教壇にスタンバイし、チャイムと同時に授業が始まる。授業時間残り10分というタイミングでその日の授業内容が一通り終わったとしても、「あと少し時間あるので、次の授業の話を少しだけします」と、基本的に90分フルで授業をおこなう。正直、学生的にはちょっとめんどくさい(ひどい)。

それに対して、社会学部の先生は基本そのへんゆるい。授業が始まる前から教室に来て準備を進める先生もいるけど、チャイムがなって10分くらいしてから、ふらーっと教室に現れ、マイペースに機材やレジュメなどの準備をし、独自のタイミングで授業を始める先生も少なくない。そして、例え授業時間が残っていたとしても、その日の授業範囲を終えれば「キリがいいのでこれで終わりまーす」と、あっさり授業が終わる。というか、わたしの大学の社会学部の先生のなかで、毎回フルに90分授業をする先生の方が貴重だと思う。

そうやってゆるっとマイペースに授業をする先生たちでも、授業はめちゃくちゃ面白い。正直、大学自体はそんなにレベルの高い大学ではないけど、社会学部に在籍している先生方のレベルはめちゃくちゃ高いと個人的には思う。もちろん、全ての大学の社会学部教員がそういう雰囲気の人ばかりではないと思うけど、そのメリハリのある雰囲気や先生方の人柄に、わたしはとても惹かれる部分があった。

 

そうして徐々に社会学部に馴染んできた学部3年の秋学期、わたしは社会学原論という学部生必修の授業を履修した。

社会学とは、ひとことで言えば、いまある世の中を相対化する学問です。」

1番最初の授業で先生がそう言ったとき、わたしはこう思った。

「それって、わたしのためにあるような学問じゃない?」

 

思い返せば、わたしは今まで、世の中のありとあらゆる物事を相対化し、どんなことに対しても常に疑問を抱いて生きてきた。

なぜ学歴は必要なのか。

なぜ結婚や出産はめでたいとされているのか。

なぜ校則を守らないといけないのか。

わたしが学校に行けなく、そして行かなくなったことにはいろんな理由があるのだけど、そのなかでも一番大きな理由は、「なぜこんなにもつまらない学校教育を学ぶ必要があるのか」「いまの学校教育はほんとうに正しいものなのか」という思いを抱きながら学校へ通い続けることに限界がきたからである。

原論の授業を受けたとき、わたしが今まで考えていたことはひとつの学問だったのかとはじめて知った。そして、「もっと社会学を学びたい」と、次第に院進学を考えるようになった。

 

同時期にわたしは、子どもの社会的問題(不登校児童虐待、ACなど)を学ぶ授業を受けていた。そのときの授業内容は教育学部にいた頃と重複する部分もあったけど、久しぶりに子どもや教育のことを勉強して、「なんだかんだ、わたしはこういう勉強してるときが1番楽しいし、やっぱり悩んでる子どもの力になることがしたいな、、、」と思った。

わたしは不登校になってからずっと、「いつかこの経験を生かして、不登校当事者の力になれるようなことがしたい」という夢を抱いていた。でも、自分が思い描いている夢を現実にできるほど、この世界はそんなに甘くはないとも思っていた。だから、心の奥底でその夢を封印しているところがあった。

でも、この授業を受けたときに、その夢が心のなかにまだ強く残っていることに気が付いた。ちょうどこの頃、就活を始めてインターンやら、自己分析やらに追われていた時期で、将来の進路について迷走していた(笑)ので、それだったら大学院に行って、不登校の当事者たちの力になれるように、社会学的観点から不登校について研究していけばいいんじゃない、、、?と。そんなことを、ぼんやりと考え始めた。

 

とはいえ、院に進学したとしてその後どうするのか。

わたしは研究者になりたいと思った。社会学部の先生方を見ていて、「いつか自分もあんな人間になりたい」と、職業的にも人柄的にも憧れを抱くようになったからである。

「研究者、、、一生働かなくてもいいくらいお家がお金持ちならいいけど、そうじゃないならおすすめしないよ。」

ゼミの先生にそう言われた。というか、この頃進路相談をした先生たちには、ほぼ全員研究者を目指すことを止められた。

まあ、たしかにふつうはそう言うと思う。研究者としてそれなりのお給料をもらえるようになる人なんてほんの一握りだろうし、それまでの苦労は並大抵のものじゃないということは、先生方が1番よくわかってらっしゃるだろう。

でもわたしは自分で、「研究者になれるかなれないかは置いといて、向いてなくはないんじゃないか?」とも思っていた。

 

幼い頃からいろんなことに対して疑問を抱いていたわたしは、事あるごとに、周囲の大人にその疑問に対する答えを求めていた。けれど、納得がいく答えをくれる大人は1人もいなくて、それどころか誰もわたしの疑問を真正面から受け止めてくれなかった。

「そんな屁理屈ばっか言ってたら、この先生きていけないよ。」

はあ?お前らいつも「世の中のいろんなことに対して疑問を持ちましょう」とかって子どもにほざいてるやんけ。ふざけんな。まじふざけんな。ほんまに、これやから大人は、、、。

わたしは次第に大人を頼ることをやめた。そして自分なりにネットや本を使って情報収集し、それを自分の経験と照らし合わせたりしながら、自分なりの答えを導き出すようになった。「不登校で家にいる間、何をしていたの?」といろんな人によく聞かれるけど、わたしがやっていたことは主にこれである。

ただひたすらに数々の疑問と向き合い、ああだこうだ考え、答えを出す。その作業はとても楽しかった。

今思えば、あの作業ってめちゃくちゃ研究ぽかったな。というか、研究そのものだったのでは、、、?それが楽しかったということは、まあ、向いてなくはないのかもしれないな、、、。

そう思ったわたしは、ひとまず研究者としてやっていくことを最終目標に掲げ、本格的に院進学に向けて動き出した。

 

どこの大学院に進学するかは、正直かなり悩んだ。

わたしはいまの大学の社会学部がほんとに好きだったので、最初はそのまま内部に残るつもりでいた。でも、わたし自身の成長を考えれば、外部に出た方が視野も将来の可能性も広がるだろうし、出れるならたぶん、その方がいい。そう思って、途中から外部受験を考え始めた。

「関西で、社会学的観点から不登校や子どもの問題が研究できそうなところ」*2となると、けっこう選択肢は少なかった。が、その中でも気になったいくつかの大学に実際に足を運び、何人かの先生と直接お話させていただいたりもした。

けれど、いまの大学や、いまの大学の社会学部の先生方以上にときめきを感じることはできなかった。それぞれとても魅力的ではあるけど、なにかが違う。いまの大学に初めて足を踏み入れたときのような「ここならわたし、うまくやっていけそうな気がする」というような、あのわくわくとした、心がキラキラ輝く感覚を、いまの大学以上に得られる場所はなかった。

そうやって進路に悩んでいた頃、自分の病気のことや身内の不幸、それ以外にもたくさんのショッキングな出来事が度重なり、わたしのメンタルは一気にズタボロになった。それを言い訳にしてはいけないのかもしれないけど、正直院試どころじゃなくなって、大学の授業*3と卒論をこなすのに精いっぱいで、もうほかのことは何も考えられない、、、という状態になった。それは、夏の終わり頃から年明けくらいまでわりと長く続いた。

 

自分がしっくりくるところがないのに、準備不足のなか、無理に外部受験する必要なんてなくない、、、?

悩みに悩んで、わたしはいまの大学に残る道を選んだ。じつは自分の大学以外にも願書を出した大学はあったのだけど、いろんな側面において負担しかないなと思い、結局受験を見送ることにした。

これで良かったのかな、、、と思う気持ちも少しあるけど、この決断に悔いはない。それに、今後もだいすきな場所で学びを深められることは素直にうれしいし、幸せなことだとも思う。

 

この先どうなるかはわからない。もしかしたら研究者を諦め、修士を出てどこかに就職するかもしれないし、博士に進んでも、その後研究者として生きていけるかはわからない。というか、変な話、いつまで不登校や教育問題に対して情熱を持っていられるかもわからない。正直、不安でいっぱいだ。

でも、これまでわたしは、いわゆる「いばらの道」と言われるような道を何度も歩んできたし、回り道もたくさんしてきた。そうやって険しい道を歩むなかで、いろんな困難に遭遇したけど、その時々で自分が「これだ!」と思う方に進んで行ったら意外となんとかなった。それに、いまのわたしが見ている世界や景色というのは、いばらの道を歩み、回り道をしてきたからこそ見えているものなのだと思うから、今までの経験は全部必然で、わたしに必要なものだったんだなと、今は素直に思える。

だからこれから先も、自分を信じて「これだ!」と思う方に進んでいけば、きっと何があっても大丈夫だと思う。「甘いわ」と言う人もいるかもしれないけど、自分の経験上、そう思う。

 

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これからもわたしのペースで、ゆっくりでも着実に、前向きに頑張ろうと思う。

 

 

*1:そしてわたしも流れでTDRをテーマにした卒論を書いた。

*2:べつに関西にこだわる必要はないと思うけど、関西愛が強すぎるゆえ関西から出たくない。

*3:学部変更によって取らないといけない授業が人よりも多くなり、4回生のわりには授業が多かった。