スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

「社会学」は、この世で1番前向きな学問だと思う。

一応この春から院生なので、たまには院生っぽいことを書いてみる。


わたしの専攻は社会学である。
社会学とは、ひとことでいえば「当たり前を相対化する学問」だ

例えば不登校

教育学では「不登校の子どもを学校復帰させるにはどうすればいいか」を考える。

心理学では「不登校の子どもの心を安定させるにはどうすればいいか」を考える。

なぜそのような考え方になるのか。それはいまの社会で「不登校は良くないことだ!個人の問題をなんとかすれば不登校問題は解決するはずだ!」という考えが当たり前になっているからである。

 

しかし“当たり前を相対化する”社会学では、こう考える。

不登校って、そんなに悪いことか?そんなことより、どうすれば不登校でも生きやすい社会を作っていけるのかを考えるべきとちゃうか?」 

 

当たり前を疑い、べつの視点から物事を考えることで、社会をより良くしていこうとする。

そんな考え方に惹かれ、わたしは社会学を専攻している。

 

◆◆◆

この前の授業で、ピエール・ブルデューという社会学者について議論した。

ブルデューさんは、「社会の目に見えない格差や不平等」について指摘した人である。

人が持つ考え方や感じ方、価値観など*1は、その人が育った環境や、周囲にいる人間によって大きく影響される。というのはたぶん、社会学をやってない人でもなんとなくわかると思う。

けど、それらは目に見えないし、実体がつかみにくい。だからみんな、普段はそこにあまり意識を向けずに過ごしている。でも、「そういうのが新たな不平等とか格差を生み出してるんじゃないの?」ということをブルデューさんは主張する。たしかにそうだよな、と思う。

 

そんなブルデューさんが主張する概念のひとつに「象徴的暴力」というものがある。

「男は強くあるべき、女は控えめであるべき」というような固定観念は、そこに絶対的な根拠がないにも関わらず、社会の中で“当たり前の価値観”として浸透している。こういう社会の中で当たり前とされている価値観(=一つのモノの見方だけが正しいと思わせるような、目に見えない権力のようなもの)を、ブルデューさんは象徴的暴力と呼ぶ。

象徴的暴力はその力が絶対的であるがゆえ、人びとに「それがほんとに正しいものかどうか」を考える隙を与えない。にも関わらず、象徴的暴力はわたしたちの日常生活の至るところに存在し、さまざまな不平等や社会問題を引き起こしている。だから、そこにあえて疑いの目を受け、実態を明らかにしていく、、、というのが、社会学の一番の役割だったりする。そう、社会学は何気に奥が深い学問なのである。

 

ブルデューさんはこの概念をもとに、学校教育に関してわりとまっとうな批判をしている。

「学校教育は、特定の階層文化に有利な選択をしているにも関わらず、中立的で民主的なふりをして自らを合理化している。」*2

 

例えば入試で「あなたの父親は○○の仕事してるから合格(不合格)です」なんていう話があったら、「親の職業によって合否が決まるなんて不平等だ!」と、多くの人が異議を唱えると思う。でも、今の入試制度について異議を唱える人はほぼいないし、多少の違和感を抱いていたとしても、なんとなくそれに従ってしまう人の方が圧倒的に多い。

けれどじつは、今の入試問題や入試方法は、一部の人(階層が高い人)に有利なように作られている部分があることは否めないし、ほんとは学校が勝手に「それっぽい制度で試験やりゃ平等っぽくなるっしょ( ^∀^)」とドヤ顔をして言ってるだけ(笑)にすぎない。

つまり学校教育は、特定の人に有利になるように作られた不平等なものであるにも関わらず、目に見えない力でそれを正当化し、無理くり合理化しているだけである、、、ということを、ブルデューさんは主張する。

◆◆◆

 

授業でこの話を聞いたとき、わたしは昔の自分を思い出した。

わたしは小学生の頃からずっと学校がきらいだった(というか今も好きではない)。それはわたしが幼い頃からブルデューさん的(社会学的)なモノの考え方をするのが得意だったために、学校教育のあまりの不平等さや不合理さを見て見ぬふりすることができなかったからだ。

どう考えても、今の学校教育はおかしい。どっからどう見てもおかしい。それなのになぜみんな、こんなアホみたいな学校教育をすんなり受け入れ、文科省の言うことに黙って従っているのだろうか、と。そんなことをずっと考えていた*3

 

しかし、そういうことを口にする度に、わたしは周りの大人から滅多打ちにされた。

 

「あなたの考えはおかしい。間違ってる。」

「学校や受験勉強がいやなだけじゃないの?そういう考えになるのは甘えてるからじゃない?」

「就職は学歴とかでいくらでも左右されるけど、受験はとりあえず勉強さえすれば誰にでもチャンスはあるんやから。こんな平等な機会、大学受験が最後やねんで?それってとてもありがたいことやと思わへん?」*4

 

京大医学部の大学院を首席で卒業した超エリートの心療内科の先生でさえ、「そんな甘ったれてるんじゃないよ!気持ちはわからなくはないけど、もう何年もこの方法でやってきてるってことは、今の日本の学校教育はそれなりに正しいものとして成立してるってことなんだよ!」と言う始末。

(いや、逆にエリートだからこういう発想になるのか、、、?)

悲しかった。あまりにいろんな人からこてんぱんに言われるので、ちょっと人間不信になった。

 

「もう自分の考えを口にするのはやめよう、、、。どうせ傷つくだけだ、、、。わたしのこの考えを理解してくれる人なんて、もう一生現れないんだ、、、。」

 

そう思った。

 

そんなわたしに救いの手を差し伸べてくれたのが社会学だった。今までずっといろんな人に批判されてきたわたしの考えは、じつは全部社会学の理論で説明することができるんだ、、、と知ったときの、あの視界がパアッと開けたような感動は今でも忘れられない。

やっぱりわたしの考えはおかしくなんてなかった。ほんとにおかしいのは今の日本の学校教育であり、それを信じ込んでる人びとであり、それを人びとに信じ込ませる力を生み出している、、、この社会だったのだ。

にも関わらず、世の中の大半の人はそのことに気が付いていない。だからそこに異議を唱えたわたしのような人間は、必ずと言っていいほど批判される。マイノリティが叩かれる傾向にあるのは仕方がないし、わたしも半ば諦めているところはあるのだけど、もうちょっとどうにかならないものなのだろうかと、、、いつも思う。

 

◆◆◆

普段滅多に自分の考えを述べない&熱くならないわたしだけど、この日の授業では珍しく感情的になって↑のような話をひたすらに熱く語った。

すると先生はもちろん、ほかの受講生2人もめちゃくちゃ賛同してくれた。みんな「まじそれな!!!」って感じで、謎の一体感が生まれた。自分の発言ひとつでこんなにも授業に一体感が生まれるなんてはじめての経験だったし(しかもオンライン越しってすごいと思う)、なんか不思議な感じだった。

でもその一体感から、先生やほかの受講生にもおそらく、わたしと似たような経験があるんだろうな、、、ということがわかった。うれしい反面、少し切なかった。

 

「わたし(たち)のように社会学的なモノの見方をする人たちが叩かれる要因はふたつある」と先生は言った。

ひとつは、わたしがさっき述べたように、「単純にマイノリティは叩かれやすい傾向にある」こと。そしてもうひとつは「今の日本は『どんなにピンチな状況でも本人の努力次第でなんとだってなるし、それができてこそ素晴らしいんだ!』という価値観が根強い」ということだった。

たしかに「ピンチを生かしてナンボや!」と考える人は多いし、まあそれも一理あるとは思う。でもブルデューさんの言う通り、目に見えない不平等というのもたしかに存在する。それを考えると、本人の努力でどうにかできる範囲には、やはりある程度の限界がある。のに、それに気づいていない人がほんっっっとに多い。だから「受験は平等な制度(本人が努力すればなんとかなるもの)だし、学校教育は正しいものなんだよ」と、多くの人は何の疑いも持たずに思ってしまう、、、というのが、先生の解釈だった。その先生の解釈に間違いはないと、個人的には思っている。

このような感じの、とても「正しい」とは思えない価値観や考え方を問い直し、社会をより良くしていこうと模索する。そして、目に見えない不平等によって苦しむ人に、なんとかして手を差し伸べられないかと試行錯誤する。

―――それが「社会学」という学問なのだ。

 

 授業を終えて、やっぱりわたしは社会学が好きだし、社会学に出会えて良かったなと心の底から思った。「わたしの居場所はここだー!!!」と前よりも胸を張って言えるようになったし、社会学の面白さと奥深さを改めて実感した。

 

◆◆◆

わたしは、社会学は「この世で1番前向きな学問」だと思っている。

一見どうしようもない問題だとしても、いつもとは違ったモノの考え方で一筋の光を見出し、問題の解決へと進めていく。それってすごく素敵な考え方というか、とても前向きだな、と思う。

 

 社会学はほかの学問に比べてマイナーだし、批判もされやすいし、いろんな意味でしんどい学問でもある。

でも社会学は必ず、わたしたちに微かな光と希望を、そして社会をより良くしていくためのヒントを与えてくれる。どんなに解決困難に見える問題だとしても、社会学の考えを取り入れることで見えてくるものはたしかにある。

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だからわたしは、そんな社会学が好きである。

今までも、そして、これからもきっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:社会学の用語ではこれらを「ハビトゥス」と言う。

*2:この授業のレジュメから引用。おそらく、ブルデューさんがどっかの本の中で言ったことを先生が要約してくれているのだと思う。

*3:それで学校に価値を見出せなくなって不登校になって、後に大学受験をボイコットする。

*4:大学受験をどうするか悩んでいたとき、塾の先生にそう言われた。もともとその先生のことはあまり好きではなかったのだけど、この発言がきっかけとなって愛想を尽かし、その先生の授業に出るのをやめた。