一番きついなと思ったのが、不登校に対する考え方や価値観がちがうことだった。
私はわりと、「不登校は社会が悪い」というよりも、「学校神話に毒されてる人たちがこの社会に一定数存在していることが不登校を考える上での一番の問題点」だと思っている。
そういう意味で、私は学校神話を崇拝している学校の先生(言い方😂)のことをかなり否定的に捉えてる側面があるので、今回は学校教師に焦点を当てた論文を書いたという背景もある。
しかし、指導教員の先生は、学校制度や教師の働き方のような社会的な要素に不登校の一番の問題があると考えてる側面が強い。
「教師たちの職場環境が良くなかったり、制度的に問題があったりするから、子どもへの対応がおろそかになってしまって不登校の子どもが増加しているのではないか?」みたいな論調である。
詰まるところ、「結局教師の労働環境や学校制度が良くならないと、何も変わらないんじゃない?」と。
学校教師の内面意識を変えるべきだという主張を持つ私と、学校教師の環境を変えるべきだという主張を持つ先生では、当然不登校の捉え方や考え方にも差が出てくる。
私はそれがストレスで仕方なかった*1。
だから「教師に非はない」と考えている指導教員にとって、不登校の原因の一端を教師の内面世界に見出そうとしている私の論文はあまりヒットしなかった(?)っぽくて、何度か
「学校の先生を悪く言い過ぎなのでは?」
みたいなことを言われた。
「もっと制度の変遷とか教師の職場環境とか詳しく勉強した方がいいよ。そうしたら今の不登校に対する見方も変わってくるかもしれないし……」
と、言わば「今のあなたの考えは偏見なのではないか」ということを言われたのである。
その先生の言いたいことはすごくよくわかるし、それも一理あると思う。
先生は「もっとそのへんのことも勉強した方がいいよ」と言っていたけれど、私はこれでも勉強すべきところはきちんとしてるつもり*2だし、今の学校制度や教師の職場環境に改善の余地があることくらいは知っている。
でも結局、そうやって制度や環境のせいにしてても何も変わらないと私は思う。
仮に制度や環境が良くなったとしても、学校の先生たちの意識や不登校の考え方が変わらない限り、おそらく事態は何も変わらない。
逆に、先生たちの意識や内面が変われば、制度や環境にさほど変化が生まれなくても、周りの子どもの気持ちは変わるのではないか、と思う。
要は、私とその先生では、全く価値観が逆なのだ。