スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

神社参拝と「信じる」話。

休みの日でお天気が良いと、よく神社に行く。

 

神社参拝にハマったのは、今から約2年前、通信課程の大学から通学課程の大学に転籍して間もないGWの頃だった。その頃のわたしは急激な環境の変化によって心身ともにバランスを崩し、かなりギリギリの生活を送っていた。と同時に、プライベートでもちょっと、というかだいぶ落ち込むことが度重なって、もうほんとうにどうしようもなく病んでいた。

「どうにかしてこれからを頑張って生きていくために、気分をリフレッシュできることがしたい、、、。」

そんな思いを日々抱えながらなんとなくスマホをいじっていていたとき、ふと目に留まったのがパワースポット巡り=神社参拝だった。

 

それまでのわたしは、「神社なんて初詣か受験の合格祈願くらいでしか行ったことがない、、、」というような、神社とは全く縁のない人間だった。けれど、そのときなんとなく導かれるようにして神社に行ってみたら、ものすごく気持ちがしゃんとした。「今まで悩んでたことってなんてちっぽけなことだったんだろう、、、。」なんて思い、ちょっとだけ心にゆとりができた。そしてその後、じわじわと元気になっていって、数か月後にはとても楽しく大学生活を送れるようになった。

 

それからわたしは、なんとなく気が向いたときや気持ちを浄化したいときに神社を参拝するようになった。特にここ半年くらいはちょっと、いろいろあって神社を参拝する頻度が多くなってきたのだけど、そのおかげで最近「自分と相性の良い神社がある」ということがわかってきた。

 

【神社の相性】てな感じでGoogle先生で調べてみると、大抵は「空」「地」「水」「火」「風」という5つの属性を自分の生年月日と血液型から割り出し、その属性と合う神社は自分と相性が良い神社だ!!!なんてことが書いてあるけど、わたしが言っている「相性」とは、そういう目に見えてわかるものではなく、いわばもう少し「スピリチュアル的な意味での相性」である。

 

じゃあわたしが考える相性の良い神社ってなんなのか?それはひとことではとても言えない(笑)ちょっとスピリチュアル的なあれなので言葉にはできないというだけなのか、単にわたしの語彙力が足りないだけなのか、、、。

でもほんとに、神社に行くと「何か特別なものを感じる瞬間」というのは確実にある。風がすーっと吹いただけですっごく良い気の流れを感じることもあるし、お祈りした後にパワーを感じて身体が重くなって動けなくなることもあるし、参道を歩いているだけで泣きそうになるときもある。そして、ごくたまに、参拝中に訳もわからずほんとに泣いてしまうようなときもある。

で、だいたいそういうスピリチュアルな経験をして帰ってきた後はメンタルがとても安定するし、“ちょっとしたいいこと”が起こることも多い。

 

もちろん、訪れるすべての神社でそういう現象が起きるわけじゃなくて、特に何も起きないところもある。だから、ネットやガイドマップで「ご利益がある!」と取り上げられている神社に行ってみても、そのすごさを感じられないままに参拝を終えてしまうこともある。つまり、その神社が自分にとってご利益があるかどうかとか、心地よく参拝できる場所かどうかは、結局のところ実際に行ってみないとわからない。百聞は一見に如かず、というやつである。

いまのわたしが「相性が良い」と感じる神社の中には、じつは先ほど書いた5つの属性的に言えば自分とは相性が良くないとされている神社もある。だから神社参拝に目覚め始めの頃は、「あそこはわたし、相性良くないらしいしな~」と、その神社に行くのを避けていた。でも、あるとき勇気を出して行ってみたら、すごく心地良く参拝できた。それから度々参拝させていただくようになったのだけど、いつ行っても良い気の流れを感じる。だから、ほんとは属性なんてあんまり関係なくて、要は自分の感じ方次第なんじゃないかと最近すごく思うようになった。

 

この前大学の先生にこの話をしたら、こんなことを言われた。

「〇〇神社は良い気が流れてるって、あれは川が近くにあるからじゃないの?」

「パワー感じて動けなくなるって、それは疲れたから動けなくなるーとかじゃなくて?」

 

ひどい(笑)

けれど、わたしの話を一通り聞いたあとに「まあたしかに、自分にも居心地が良いカフェとそうじゃないカフェがあるしなあ。特に理由はないけど、なんかあるよね。だから、それと同じようなことを君は神社にも感じてるのかもしれないね」と言ってくださった。

そう、ほんとにまさにそんな感じである。特にこれといった理由はないけど、なんとなく自分にとって居心地が良い場所とそうでない場所って、きっとみんな何かしらあるはずだ。だから、自分にとって居心地の良い、相性の良い神社というのも、たぶん誰にでもあるものなのだと思う。

 

最後にその先生に、こんなことを聞かれた。

「自分もそういうスピリチュアル的なの感じられる人間になりたいんだけど、どうすれば良い?」

想定外の質問にびっくりしたわたしはとっさに、

「え、、、神様を信じる!って気持ちをもつこと、、、?ですかね、、、?」

なんて、ものすごく曖昧なことを言ってしまい、帰り道に

「あれは抽象的すぎたのではないか?もうちょっとちゃんとしたこと言えたんじゃないの、、、?」

と、ひどく後悔した。いやいや、もっといい感じの返答できたでしょ、と。

でも、あれからいろいろ考えて、あのときのわたしの発言は強ち間違ってなかったかもなあ、とも思う。

 

わたしは幼い頃から、どちらかと言えば神様とか、そういうスピリチュアル的なものを信じている人だった。そして、実際に目に見えない何かを感じて、なんとなくぼんやり「あれは後々ああなるな~」と思ったことがほんとに現実になってしまう、、、なんて、「もしかしてわたし、占い師になれるんじゃない!?」と思うようなことも何度か経験をしてきた。*1

わたしが神様を信じているからこそ、そういう直感に敏感になったのか。はたまた、そういう直感が敏感にはたらくからこそ、神様を信じるようになったのか。それはわたしにとってはもう、「鶏が先か、卵が先か」というレベルの話である。でも、神社巡りをはじめてみて、それまで以上に「神様とか、目に見えないスピリチュアル的なものってほんとに存在するんだな~」と、改めて思えるようになったのも事実である。だからたぶん、先生の質問に対する答えはあれで良かったんじゃないかなと、いまは素直に思う。

 

そんな今日も、わたしにとって相性の良い神社のひとつである上賀茂神社に行ってきた。

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桜が咲いていて春がきたのを実感する。

 

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ここのお水はほんとにきれいで見ているだけで癒される。

 

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うまくいかないことだらけの日々を生きていくなかで、「信じる気持ち」をもつことで、救われたり、行動を起こせたり、前向きになれたりすることって誰しも必ずあると思う。だからこそわたしは、これからも「信じる」ことを大切にできる人でいたい。

 

 

 

 

*1:ちなみに、霊感は全くない。