スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

晴明神社を参拝した直後に警察から6000円を取られた話。⑦

わたしのしょうもない雑談は思いの外盛り上がり、授業終了まで警察や車の運転に関する議論が続いた。

先生は

「いい議題だった!とてもいい議題だった!これはたしかに腹立つね!!!!」

と言っていてなぜか?満足げだった(笑)

「怒っていいんだよ!!!!こんなの怒って当たり前だよ!!!!!でも、事故じゃなくて本当に良かったね」

(やさしい!😭✨)

 

帰り際、社会人のおじさん学生*1が「そう気を落とさずに。いつか忘れるから(笑)」と言って励ましてくれて嬉しかった。

改めて、この大学の人たちはみんな優しい。

 

今の日本の交通システムは、悪いことをした時のみ罰せられ、点数を引かれる(罰金を取られる)システムになっている。

それゆえ、いくら安全運転をしたり、道を譲るなどの善良行為をしたりしても何の点数にもらならないし、評価もされない*2

わたしは、このシステム自体がおかしいのではないかと思う。

なぜプラスのことは注目されず、マイナスの面ばかり注目されてしまうのか。

我々人類は、頑張りを褒められてこそ、そして評価されてこそ「もっと頑張ろう(もっと良い運転を心がけよう)」と思う生き物なのではないか。

こんなんじゃ、まじめに生きれば生きるほど損をするというか、何の得にもならない。

「お天道様は見てる」と言うけれど、じゃあなぜわたしはいくら善良行為を積み重ねても幸せにならないどころか不幸ばかりが続くのか、と思う。 

本当にお天道様が見てるのなら、まずはあの停車車両が警察の餌食になるべきなのではないか。

 

しかも、悪さやルール違反をした全ての人に罰が与えられるのならまだ許せるけど、「たまたま警察の目に留まった人」だけが罰を受けることになるというところがなんとも理不尽だなと思う。

 

大学の帰り道、わたしは意識的にオレンジ線を意識し、ほかの車を注意深く観察するようになったが、オレンジ線を堂々と越えて車線変更しているドライバーはそんじょそこらにいた*3

なんなら、今回のわたしのように停車車両が邪魔でオレンジ線を越えないと車線変更できないから仕方なく踏んでいる、というパターンも多かった。

それなのに、「たまたま警察の目に入ったから」という理由だけで私だけが犠牲になるのである。

本当に納得がいかない。

 

 

 

 

 

 

 

*1:「自分は昔、スピード違反で捕まった時に『本当にすみませんもうしません!」』ってひたすら謝り続けたら、違反金を取られずに済んだ」とおっしゃっていた(笑)

*2:せいぜい相手から感謝されるくらい。まぁ、それでも十分うれしいけど。

*3:というか、あの日以来めちゃくちゃ観察してるけど、驚くほど大量にいる。