スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

祖父とアゲハ蝶。

週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

今年のGWのある日。家の近くの道をゆったりとウォーキングをしていたら、わたしの前をひらひらと舞う蝶々が目に留まった。小さな黄色の蝶々だ。
今までべつに、そのへんで蝶々を見かけても大して何も思わなかったのだけど、そのときはなぜか、無性に蝶々を見かけたことが気になった。ので、家に帰ってからいろいろと調べた。
すると、蝶々にはスピリチュアル的な意味合いが多く含まれているらしいことがわかった。見かけた蝶々の種類や色によって受け取るメッセージも微妙に変わってくるみたいだったけど、基本的に蝶々を見かけること(=普段は気にならない蝶々が気になるとき)は変化や変容・飛躍の訪れを告げる幸運や運気上昇のサインとされているらしい。

4月に手術をしてからいろんな変化を経験したわたしは何となく、蝶々からのメッセージに納得した。ちょっとうれしくなった。

Google先生でいろんなサイトを調べていると、どうやら蝶々のなかでもアゲハ蝶は「神の使い」とされている特別な存在で、魂や霊が宿っている場合が多くあるらしいことがわかった。たしかにアゲハ蝶って、見た目からしてなんか特別な感じがする。そのうちどこかで会えたらいいなあと思った。

その3日後。道を歩いていると、どこからともなく1匹のアゲハ蝶がやってきた。
あ、アゲハ蝶だ!!!と思った。「会いたい!」と思ってからわりとすぐに会えたことがうれしかった。
そのアゲハ蝶はしばらくの間、わたしが歩く少し先をひらひらと飛んでいた。まるでわたしの行先を「そうそうこっちだよ!この道で合ってるよ!だから自分を信じて頑張ってね!」と見守ってくれているかのようだった。

基本的に飛ぶ虫*1がこわい人なので、ちょっとだけ恐怖心もあったのだけど、なぜかわたしはそのときとても泣きそうになった。「ほんとにアゲハ蝶には誰かが宿っているんだ、、、!」と思った。それが誰なのかはわからなかったけど、不思議とそう思った*2

そのときふと、母がそのへんの道や家のベランダでアゲハ蝶を見かけるたびに「(亡くなった)じいちゃんや」と言っていたことを思い出した。

祖父が亡くなったのは今からもう15年以上前なのだけど、ほんとに昔からずっと母は、アゲハ蝶を見つけるたびに自信満々にそう言う。
母は特別スピリチュアルな話に興味があるわけでもないし、わたしみたいに熱心にそういう勉強をしているわけでもない*3。けど、祖父が亡くなって以降、法事などでみんなが集まっているときや、祖母の家に行って何か作業をしているとき、なにかうれしいことがあったときや悲しいことがあったときは必ずアゲハ蝶が近くを飛んでいるので、自然と「アゲハ蝶はじいちゃんなんだな」と思うようになったらしい。にしても、“自然とそう思うようになった”というのがすごい。

だからわたしもぼんやりと、「ああ、アゲハ蝶はおじいちゃんの分身なのか」と思っていたけど、母の解釈は決して間違いじゃなかったんだなと、このときはじめて実感した。

 

6月、祖父の命日にわたしと母と祖母の3人でお墓参りに行った。

そのとき、車で祖母を迎えに行くと、祖母の家の前にとっても大きなアゲハ蝶が飛んでいるのを見つけた。こんな立派で美しいアゲハ蝶は今まで見たことないというくらい、ほんとうに、虫嫌いのわたしでも(笑)惚れ惚れするほどきれいで美しいアゲハ蝶だった。

「じいちゃんがいるね。」

わたしと母は口をそろえてそう言った。

 

そのあとお墓参りに行って、「さあ帰ろう」と駐車場を出ようとしたときにも、同じような大きくて立派なアゲハ蝶が飛んでいた。それだけでなく、祖母を送り届けて家の駐車場に帰ってときも、全く同じデザインの、全く同じ大きさのアゲハ蝶を見かけたのだ。

そのときわたしは「ほんとのほんとに、アゲハ蝶はじいちゃんなんだ!!!」と確信した。その日1日ずっとそばにいてくれたことがうれしくて、とてもしあわせな気持ちになった(そして今、この記事を書きながらなぜかわたしは涙があふれて止まらない、、、)。

 

それから時々、祖母の家に行くときや祖母の家にいるときに、命日のときに見かけた大きくて立派なアゲハ蝶を目にするようになった。

わたしが「あ!!!!」と思って写真を撮ろうとスマホを用意すると、いつもめちゃくちゃ早いスピードでどこかに消えてしまう。「もっと見てたかった、、、」と思うけど、普段めちゃくちゃダンディでカッコつけるのが得意なくせに、意外とシャイなところがある祖父の性格そのまんまって感じがするので、それはそれで祖父らしいな、と思う。

普段街を歩いていたり、車を運転したりするときにもアゲハ蝶は度々目にする。でも、命日のときに見かけた惚れ惚れするような美しさのアゲハ蝶には、祖母の家にいる&行く道中以外は絶対に会えない*4。だから、あの大きくて立派な美しいアゲハ蝶は、間違いなく祖父の魂が宿っているものなんだと、わたしは信じて疑わない。

 

 

祖父はわたしが小学校1年生のときに亡くなっているので、祖父とのことは正直ほとんど覚えていない。だから変な話、祖父と同じ時代&同じ世界を生きていた実感というものもあまりない。

でも、例え住む世界が変わっても、ずっとこうしてわたしたちのことを近くで見守ってくれているのだな、、、と思うと、なんだかとても安心するし、心がホッとする。

きっと、わたしが今まで気づいていなかっただけで、亡くなってからもこうしてわたしのそばに来て励ましてくれていたり、見守ってくれていたりしたことは何度もあったのだと思う。だから、最近になってようやくそのことに気がつき、アゲハ蝶を見つけるたびにハッとして、笑顔で手を振るわたしのことを、きっと祖父は笑いながら見ていると思う。

 

f:id:duffyuki224:20200920145401j:plain

スマホクオリティなので画質が荒いけど、大きさや美しさは写真でもよくわかるのではないかと思う。

 

もし街中でアゲハ蝶を見かけることがあったら、少しでも良いからぜひ一度気に留めてみてほしい。

そこにはもしかしたら、あなたを見守ってくれている大切な人がいるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:飛ぶ虫たちは予測不可能な動きをするからこわい。ムカデとかの飛ばないやつは全然平気。

*2:そしてこの経験以後、じわじわとスピリチュアル的能力が開花し、本格的にそっち方面の勉強を始めることになった。

*3:でもなんとなく、そういう感性は鋭い。

*4:唯一、6月に一世一代をかけた大プロジェクトを遂行した日だけは、始まる直前と終わった直後に一瞬だけわたしの前に姿を見せてくれた。おかげでそのプロジェクトは大成功に終わったので、きっと祖父が力を貸してくれたんだろうなと思う。