スプーンひとさじのしあわせ

京都府宇治市在住。2021年にうつ病を患いましたが、なんとか生きています。思ったことをありのまま、マイペースにゆるっと綴ってます。

はじめての入院体験日記⑤

さて、グタグタと書き続けたこのシリーズ、今日でついに最終回です。

duffyuki224.hatenablog.com

 

 

やっとの思いで退院した翌日。わたしは38度の熱を出した。

「退院後も微熱が出ることはよくある」というのは事前に先生に聞いていたのだけど、まかかの38度!(笑)インフル並みの高熱にびっくりし、思わず体温計を二度見した。

慌てて病院に電話をかけると、先生に冷静にこう言われた。
「無理して動いたりすると、高熱が出ることはよくあります。」

先生ごめんなさい。荷物整理しなきゃいけないと思って、めちゃめちゃ無理して動きました、、、(笑)

「退院直後だからね。ロキソニン飲んでゆっくりして、それでも治らないならまた連絡ください。」

で、先生の言う通り、ロキソニン飲んで寝たらすぐ治った。ちゃんちゃん。

いやあ、あのときはまじでびっくりしたな~(笑)というか、めちゃくちゃしんどかった、、、。ほんと、退院直後の体力や免疫力の低さをわたしは完全に舐めていたと思う。

 

そんなこんなで、退院して数日はベッドからほとんど動かず、ひたすら安静にしていた。おかげでそれ以降熱を出すことはなかったけど、相変わらず傷は痛いし、身体はダル重いし、安静にしすぎて身体の節々は痛いし(笑)入院中とはまた違った辛さがあった。

病院とは違ってベッドの高さも調節できないし(これがほんとにしんどかった)、至るところに段差があるし、トイレからベッドまで遠いし、、、(笑)普段さらさらーと無意識にできていた動作が何もできず、めちゃくちゃイライラした。こんなだったらしばらく病院にいた方がマシだったんじゃないかと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ思ったこともあった。

でも、日に日にいろんなことができるようになったり、一つの動作にかかる時間が短くなっていったりするのが自分でよくわかったので、それはなんかうれしかった。

 

退院から10日後、久しぶりに外へ出た。こんなに長期間引きこもったのは人生で初めてだったと思う。母の運転する車で1時間くらいドライブしただけだったけど、久しぶりの外の景色はとても新鮮だった。

その次の日は、近くの公園を散歩した。

f:id:duffyuki224:20200512194827j:plain

ここ最近のいろんな思いが溢れて、感極まりながら撮影した1枚。

めちゃくちゃゆっくりと、たったの10分歩いただけだったのに、驚くほどフラフラになった。

それから3日後には自宅から徒歩10分の氏神神社に参拝に行った。今まで普通に歩いていた坂道にこれでもかと苦戦し15分もかかった挙句、めちゃくちゃスローペースで歩いているおじいさんにも追い抜かされ(笑)想像以上の劣化にものすごくショックを受けた。

f:id:duffyuki224:20200513213035j:plain

神社参拝自体はとても良い時間だったんだけどね。

 

その後は少しずつ歩く時間や距離を増やしていって、地道なリハビリを続けた。その甲斐あって、退院から2週間経ったGW明け頃には、ようやくいつもの自分のペースで歩くことができるようになった。傷が痛むこともほぼなくなり、念願だった車の運転もできるようになった。

 

そして退院から1か月近く経った今は、おかげさまで手術前と何ら変わらぬ日常生活を送ることができるようになったし、それなりに元気に暮らしている。「緊急事態宣言が解除されるのとわたしの身体が回復するのとどっちが早いかな?」と思ってたけど、余裕でわたしの方が早かった!コロナに勝った!(勝ってはない)。

というわけで、以下に“わたしが今回の入院体験を通じて勝手に学んだこと”をいくつか述べる。

 

・無理をせず、今の自分にできることをする
退院直後で身体が弱っているのに無理をして動いたせいで高熱を出し、めちゃくちゃしんどい思いをした。

わたしは昔からよくこういう失態(キャパオーバーなことをして、後に大打撃を受ける)を犯す。なぜそういうことが起きるかというと、それは自分のキャパを正しく理解していないからであり、仮に正しく理解していたとしても、それを自分で受け入れられていないからである。
その時々で自分のキャパをしっかり把握し、ちゃんと受け入れる。そのうえで、「今の自分のキャパ内でできること」を淡々とこなすことこそが幸せ(回復)への近道なんだということを、これを機に改めて肝に銘じておきたい。

 

・すべては良きタイミング

手術が決まったとき、ものすごく病んだ。なんで今なのか、そしてなんでこんなにも急なのかと、ほんとに病んだ。

でも、最初の記事で書いたように、この時期に見つかったからこそ大学の授業に全く支障が出ずに済んだし、自宅療養期間もそこまで苦痛ではなかった(なんせ国がほぼ全国民に自宅待機を要請しているのだから)。これがもし数か月前、あるいは数か月後の普段の生活を送ってるタイミングでの入院だったら、ほんとに色々大変だったと思う。もっと言えば、京都に緊急事態宣言が出た日にちょうど退院できたので、そこも非常に良いタイミングだったと思う。

あとは、「手術決定から入院までがわずか10日だった」ことも、個人的にはすごく良かったと思っている。きっと手術決定から手術までもっと時間に猶予があったら、わたしは今回以上に色々考えて、悩んで苦しんで、相当病んでいたと思う。

なんだかんだ、すべては自分にとって一番良いタイミングなんだな、と改めて思った。

 

・感情を抑え込まない
わたしが患った「子宮内膜症」という病気は、はっきりした原因が解明されていない。ただ、いろいろ調べていると、どうも「真面目な人・自分の意見を人に伝えるのが下手な人・感情を抑え込む癖がある人=ストレスをため込みやすい人」は子宮系の病気になりやすいらしく、上記の特徴にもろ当てはまるわたしは妙に納得してしまった。
最初の記事で、「初めて身体に異変を感じたとき、ちょうど恋愛ごとで病んでたからストレスからくるものだと思っていたけどふつうに病気だった」みたく書いたけど、根本的な病気の原因はじつはほんとにストレスだったんじゃないかと、今になって思う。

それに、「たった2ヶ月で腫瘍の大きさが倍になった、、、」というのも、改めてその頃(2-3月頃)を思い返してみると、思い当たる出来事がいくつかある(笑)ので、そう考えると「短期間で大きさが倍になる」のも納得がいく。というか、この1年(もっと言えばこの数ヶ月)でわたしはいったい自分の身体にどれだけストレスを与えてたんや、、、(笑)
だから、今後はもっと自分の感情に素直になろうと思うし、いい加減「自分の感情を吐き出す」ことをもっとちゃんとやっていこうと思う。みなさんも、病院云々に関わらずストレスは溜め込みすぎないように!

 

◆◆◆
こうして元気に過ごせるようになったいま、入院生活を改めて振り返ってみると、ほんとに一瞬の出来事だったように思う。一瞬すぎて、あれは夢だったんじゃないかとさえ思う。嵐のように急に来て、ぶわーーーっとわたしのすべてをかき乱したかと思えば、何の前触れもなく突然去っていったような。そんな感じ。ほんとに手術が決まってから今日までのこの1か月半は、自分でもよくわからないまま、流れるように過ぎていった気がする。
そんななので正直、未だに「自分が手術入院した」という実感がない。全然ない。だから、こうやって入院の話を書いてるのもちょっと不思議な感じがするし、いろんな人が身体を気遣ってくれる度に、「そうか、わたしってそんな大変な経験したのか。すげーな」なんて、まるで他人事みたいに思ってしまうこともある。

 

まあ、そうは言っても、思い返せばやっぱりほんとにつらくて苦しかったし、とてもしんどい時間だったことには間違いはないけど(笑)

でも、いつか病院の先生が言っていたように、この経験はきっと今後のわたしにとってプラスの経験になるだろうし、むしろバリバリに生かしていって、これからの人生を今以上に豊かなものにしていきたいと思う。そう、今回の入院は、わたしの人生をより豊かにするために必要不可欠なものだったのである、、、!(と信じている。)

なので、いまのわたしは今回の経験をめちゃくちゃ前向きにとらえている。いぇーい✌ありがとう神様!(笑)

 

というわけで、これにて「はじめての入院体験日記」完結です。

最初から全部読んでくれた人、いるのかな?(笑)

長らくお付き合いいただきまして、ありがとうございました。